薬箱も背負っているのだから、いい

と言ったのに薬売りに傘を奪われて しまった。
番傘は結構重いのに、軽々と片手で支えてしまう男の腕。

いつもであれば頼もしい力強さが、今は恨めしい。
二人、俯きがちに 黙々と歩く。
横目でちらり窺うと、長い前髪を伝う水滴が、襟の色を 深くしていた。
雨はどこまで薬売りを蝕んだのだろう。

遠目に見つけたとき、こんなにも色数の多い形(なり)をして、
薄墨を 流したような景色に違和感なく馴染んでしまっていた。

影が薄い、と いうのだろうか。
今にも消えてしまいそうで、駆け寄る間も気が気では なかった。

盗られてしまう、という、危機感。
それは今も、あまり薄れてはいない。

手を伸ばす。
傘をさす白い手に、そぅっと手のひらを添わせて、包んだ。

「うわ、冷たぁーい」
「……加世さん?」
「傘、そっちで持って。この手あけて?」
「そんなことしたら、加世さんが濡れちまうでしょう」
「平気。帰ったら脱ぐもん。ほらほら、いいから、ね? お願い」

ねだると、しぶしぶといったふうに薬売りが傘を持ち替える。

あいた 手を、せめても袖で拭って、大事に両手で包み込んだ。
冬の日にそうする ように、息を吐きかけてこしこしとこする。

「加世さん」

びっくりしたように引こうとする手を、ぎゅうと捕まえる。



逃がすものか、盗られるものか。

この人を『こちら』に繋ぎ止めるためなら、なんだってする。
ぺたりと頬に触れさせた。

「ど? あったかい?」
「やめなさい。あんたが冷えちまう。裾も、ちゃんと持ち上げないと 汚れますよ」
「へーきだってば」
「俺が平気じゃありません」
「もー、聞かん坊なんだからぁー。あんまりぐだぐだ言うと、
 この手、 懐に突っ込みますよ? ん、でもそれいいかも! きっとあったかい、」
「勘弁してください、往来でそんなことしちゃ痴漢じゃないですか」
「そーですよぉー。だから観念してね?」

にっこりと、強気でおしまくってやると、薬売りは諦めたように溜息を ついた。

「あのね、薬売りさん」
「はい」
「好きよ」

薬売りの目が瞬いて、こちらを見る。
一番可愛い顔、つくって、 もっかい繰り返した。

「大好き」
「……はい」
「だからね、甘えていいからね。あたし、薬売りさん好きになってから 思ったの。
 人が人のそばにいるって、すごいことだなぁって。
 もう一人 いるから、雨が降ったら傘持って迎えに行けるし、
 風邪ひいて倒れても、 一人だったらせいぜい寝てるだけだけど、
 もう一人いたらご飯とか、 着替えとか、都合できるじゃない?」

しばし吟味するように薬売りは沈黙を守り、やがてひそかに笑った。
されるがままだった指先が、加世の手を握り返してくる。

「……二人で風邪をひいたら、どうします?」
「―――意地悪!」

軽口に、いーっと歯を剥き出すと、二人で笑う。
戻ってきてくれた、と 嬉しかった。もう、影は薄く見えない。

ようやく辿りついた家の戸を、薬売りが引いた。
加世はお湯を沸かすべく 火を熾し、泥だらけになってしまった足袋を
ぽいと脱いで先に上がると 行李から薬売りの着替えを引っ張り出す。
濡れた帯締めは解きにくいらしく、 土間で悪戦苦闘している薬売りに手を貸した。

髪を拭かせて、
帯揚げ、帯。
腰紐、上着。

たっぷりと布地のある衣は、水を吸って重い。

なんとか衣桁にかけて干そうとしていると、
襦袢姿になった薬売りが 背中から加世を抱きしめた。

「寒い…です、よ…、加世さん」

すりよせられた頬が、実際ひんやりと冷たい。

「ちょっと、薬売りさん……!」
「甘えさせて、くれるんでしょう?」

ねだるような上目遣い。
つつ、と白い指が、傘からはみ出て濡れてしまった着物の肩をなぞる。

「あんたも、脱いで……」


一人が冷えても、二人なら。




「あっためてください、よ……」





SS 凡ト様 / イラスト 彩国様


素晴らしい投稿イラスト&SS 本当にありがとうございました。



                          大楽蓮華 千石まりも & 梶


                              平成20年11月12日