細く、静かに、雨は尾を引いて降る。
 かすかに吹く風は冷たい。秋の雨は容赦なく体温を奪っていく。
 しかし薬売りは、黙ってその場に佇んでいた。
 
 四辻。天候のせいか、細い道が交差するそこに人影はない。
 否、つい 先程までここには荒れ狂うモノがいた。
 人がいないのは道理というもの。
 ただ、狂乱があったことなぞそ知らぬ顔をして静まり返る景色が、
 まるで 先(せん)から尋常であったかのような錯覚を起こさせるだけだ。

 世というものに、情はない。
 
 だから、斬られた『それ』の代わりに、空が泣いていると思うのは 感傷に過ぎる。
 廻る天地の営みは、人が泣こうが笑おうが廻るのだ。
 まして、『世』の範疇を踏み越えてしまったモノを省みることなど。

 ……だが、己が雨に打たれることは、できる。

 寂寞とした声なき声に耳を傾け、ただ、いま少しこの時間を。

 ぴしゃん、と。

 高下駄を踏み出したのは、それからどれほど経ってからのことだろう。
 雨はいまだ降り止まず、薄い紗を織るように、
 滄茫と広がる奥行きに 幾すじも細い縦糸をかけている。
 空気は水分を含んだまましんと冷えていた。 着物が水を吸って重い。

  ……今更、雨宿りをしたところで。

 変わらぬ、だろう。
 そう踏んで、大樹の陰に寄るのはやめた。
 わずかにぬかるんだ道を、 高下駄で踏みにじり踏みにじりして歩く。
 一歩揺れる度に、長い毛先に 溜まったしずくがぽたりと落ちる。

 日が急速に暮れていく。天候の分、暗くなるのも早いのだろう。
 元々日が ないのだからそう気温が変わることもあるまいに、
 視界の暗さはなんだか 余計に冷え込みを意識させた。

 ……寒い。

 息が白くなりそうな気がしたが、まだそこまでの季節ではないか。

 いろんなことが億劫で、のろりと廻らせた視線の先。
 ぽぅ、と。  温もりが、灯ったように思った。
 見直せば、雨の帳から滲み上がるように赤い傘。
 そして、

「あぁっ、いたー! もぉぉ、薬売りさんったら、傘持っていかなかった でしょう!」

 ぱしゃぱしゃと、小走りになった足元で水が跳ねる。
 加世さん、と呼ぼうとした口元は、寒さのためか強張ってうまく 動かなかった。
 そんなに走って、こないだ買ったばかりと嬉しそうにしていた着物の 裾に泥が。
 暗いのに足元に気をつけないと。
 いやそれより、どうしてこんなに寒いのに、

「加世さん…、どうして………」

 ここにいるんだ、と尋ねる前に、ふわりと赤い傘が差しかけられた。
 ぱたぱたと、油紙が雨を弾く音がする。
 たったそれだけのことなのに、何故だか一気に寒さが拭われた気がした。

「も〜〜〜、なんでそこで“どうして”なんですかぁ? 当たり前じゃない ですか!」
「当たり…前……?」
「あーあ、こんなに濡れてぇ! 風邪ひいちゃいますよ! 早く帰って 乾かさなきゃ!」

 どうして、何故。

 加世がここにいるだけで、どうしてこんなに温かい?


 理由はまだ、わからない。










SS 凡ト様 / イラスト 彩国様


素晴らしい投稿イラスト&SS 本当にありがとうございました。



                          大楽蓮華 千石まりも & 梶


                               平成20年11月3日